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「仏教の基本知識 その二」 龍鳳院

仏教の基本知識その二
四法印「諸行無常」

今回は仏教の基本知識として「四法印」の一つ【諸行無常】の説明をします。
この言葉は、平家物語の冒頭にも出てくる有名な言葉です。知っているという人はたくさんいらっしゃると思いますが、その意味を聞かれて答えられる方はそう多くはないでしょう。

諸行無常を訳してみますと
「もろもろの おこないは つね ではない。」と訳せます。
「おこない」とは我々が「そこにずっとある」と思い込んでいるもの全てを指します。
その「そこにずっとある」ものは「つね:永遠にそんざいする」ものではないということです。
残念ながら私たちの、若さも、命も永遠ではありません。皆さんの大好きなお金も永遠の存在ではありません。
ましてや、我々が住んでいるこの地球もいずれは消滅してしまいます。
こういうこと言いますと「虚無的」とか「どうせ全部、無になるんだろう。」と思われがちですが、心配なさらずに。
「そこにずっとある」と思い込んでいるものは、けっして無くなることはありません。
なにを矛盾したことを言っているんだと思うでしょう。しかし矛盾はしていないのです。

なぜならば、「そこにずっとある」と思い込んでいるものは、常に形をかえて存在し続けるからです。
さきほど「永遠に存在するものはない」と言いましたが、これを正しく言うと「永遠にその形を維持できるものは何一つない。」です。
例えば、目の前に、白米があるとします。この白米をこの世界から完全に消し去ってみてください。消せません。
その白米を食べたとします。多少形は変わりますが、あなたのお腹のなかで存在しています。
次に、排出して水に流しても、だいぶ形は変わりますが、下水として流れて処理場にたどり着くだけです。
そして、ほとんど初めの形は見受けられませんが、バクテリアによって分解されても、その白米だった成分はバクテリアの一部になったり、不必要な分はまた外に出されたりして存在していきます
。更に完全に形を変えて、新たな生命の誕生のエネルギーになったりします。
燃やそうが、すりつぶそうが、何をしようが絶対に無くなりません。
つまり「有」から「無」に至ることは決してありません。またその逆も然りです。
こうして白米だったものは、形を変えてどんどん微細になりながらも存在しつづけ、ついには、新たな生命として生まれ変わるのです。

こういった一連の流れが「諸行無常」という言葉の意味です。
あなたが愛した人も、あなたが大好きな物も、あなたが貯めているお金も、ましてや、あなた自身も常に「形を変える」存在なのです。ですから、そういった物や人や自分に執着したり、こだわる必要はないのです。
もともと、全ては形を変えていくものだと、初めから知っていれば何もこだわることが無くなることでしょう。
これが、我々が執着している世界の正体なのです。

龍鳳院
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