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「仏教の基本知識 その三」 龍鳳院

仏教の基本知識 その三
四法印「諸法無我」

今回は、「四法印」の中の【諸法無我】(しょほうむが)について簡単に説明いたします。
諸行無常は時間的にものごとをとらえたのに対して、こちらは空間的にものごとをとらえたものです。
ごく簡単に訳せば「この世に実在するものごとに主体と呼べるものなどない。」というような具合になります。

私たちが自分自身を指さし「私」(我)と呼んでいるものは実在するものではないのです。
諸行無常に続いてまたまた虚無的な発言になりますが、この世は決して「無」ではありません。これは私たちを含め存在するものすべては「私」(我)などという極めて小さい存在ではなく、ひとまとまりの大宇宙としての存在なのだと説明してくれているのです。

ことあるごとに私たちは、ものごとを二極的に考えてしまいます。
例えば、「わたし、あなた」「明るい、暗い」「多い、少ない」などです。この二極的にものを捉えることが「苦しみ」のはじまりなのです。人と自分を比べて「あいつは自分よりすぐれている」とか、「かっこいい」だとか「きれい」だとかといった具合に苦しみ悩むものなんですね。

しかし、本当は「私」も「あなた」もさらには「この世に存在するもの」すべては、とてつもなく大きな「生命(大宇宙)」であり、一つの存在なのです。
こういった二極化する価値観は「私」(我)という色々なものから分離して存在しようとする「思い込み」があるからおきるもので、私たちは「大宇宙の一部」なのだと認識できれば「ものごとを二極化する価値観」は一切無くなるのです。
ですから何も「他」と比べることは無いのです。
なぜならば「他」という主体は存在しないからです。そして「私」という主体もないわけです。
いわゆる、私たちはこの世の「大宇宙という空間」でしかないわけで、その空間が「諸行無常」の法則に従いクルクルといろいろな形に姿を変えているだけなのです。

龍鳳院
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